今回はイタリア映画の「ミルコのひかり」
原題「Rosso Come Il Cielo」で、直訳すると「空のように赤い」となるようです
詩的ですね~
内容は10歳のイタリア人男児のミルコが銃の暴発で目を負傷してしまい
全寮制の盲学校へ入れられてしまうところから始まります
物語の時代は1970年頃で、当時のイタリアでは
目に障害のある子どもは盲学校に入れるという、なんと法律があったそうです!
つまりはぜーったいその子たちは一般の学校には行けないのです
そしてミルコも実家から遠く離れた教会の運営する盲学校へ入学することに
ミルコは10歳のとはいえ自分を持っていてガンコなヤツです
結構気の強い、周りを気にせず行動するタイプ
最初はほんの少し見えていたということもあり
先生たち(神父さんやシスター)にも心を開かない日々が続くのですが
いろんな人との出会いや面白いことを見つけて
自由に学校生活を送っていたのですが…
結局当時の盲人に対する偏見からその自由や才能をつぶされそうになります
なにせ校長が自身も盲人であるという観点からの持論もあり
盲人には可能性がないと言ってしまってます
す、すごい大胆な極論…
最終的にはハッピーエンドにはなっていますが、
どのようにそこに至るのかは是非ご自分の”目”でご確認を!
と、一旦ストーリーについてはこんなところにしておき -
個人的に私は目の見えないという世界に前々から興味がありまして
この映画もそこが入り口になっています
目が見えないってどんな世界なんだろう…
例えば先天的に目が見えない人にとって
”色”は頭の中どう変換されているのか
もう不思議でしかたない、けど確かめようもない
ちなみにこの映画の中でかつては見えていたミルコが友達のフェリーチェに
「青」や「赤」がどういうものなのか、
とーっても詩人な表現で教えてあげています
みなさんは目の見えない人に「色」をどのように表現しますかね?
まあそもそもミルコは視力があろうがなかろうが
豊かな感受性を持っていたということもあるかもしれませんが
私はその視覚情報を他の情報に変換する彼の能力がすごいと思いました
目が見える人にとって
目から得る情報は絶対的でわかりやすいのでそれに頼ってしまいますよね
でもそれって視覚以外の感覚を鈍らせてしまっているということにもなると思うんです
視力に限らず、持ってても使わない能力は衰えていくということは
誰しも日々実感してるのではないでしょうか?
運動しなくなったら筋力が衰えるとか
学生時代のように学習とか暗記とかしなくなったら記憶力がなくなったり
本を読んだり、文字を書かなくなったら漢字を忘れてしまったり トホホっ
これって加齢だけの問題じゃなく
日々それを使わないせいでしょ
少なくとも失くしたくない能力は使い続けないと!
と、いうことで
私が常日頃、気を付けて使っている感覚があります
それは第六感!
または「直観」?、人間も野生動物として本来持っているはずの感覚です
私は別の表現として「第3の目」・「心の目」とも呼んでいます
新喜劇の小藪さんは「チャクラ」と呼んでました
オカルトっぽく聞こえてしまうかもですが 苦笑
もし私が持てる能力の中で最も弱く
一番最初に無くなってしまうとしたらこれでしょ?
そう思って常日頃鍛えています!
実際の方法はというと–
まさにミルコたちのような盲人になること
目からの情報を遮断することです
目を閉じても見えてくるものがその本質、
あるいは少なくとも自分が受け止められる真実だと思って
心の目を磨いています
他人にはいちいち伝えませんが
そういう”目”で私は人や物を見ているのです
オカルトですかね
てかイやなヤツですよね 苦笑
その訓練のひとつとして
絵を鑑賞することにしています
絵は見るものですが、
絵から音を感じたり、匂いを感じたり、絵の中に入って体感してみたり
とにかく絵を見つつもそのビジュアルだけに集中しないという訓練です
そして私にとってその絵が”いい絵”である条件は
そういった視覚以外の感覚を刺激する作品ということにもなっています
余談ですが、かつて美術館で監視員のバイトをしていた時に割と見かけたのが
絵よりもその額縁を熱心にみている人たち…
いや、絵を見なさいよ!(と、心の中で突っ込んでました)
この光景は何なんだと私が考えた結論は、
まず日本人て絵を鑑賞するという教育をちゃんと受けていないんだなーということと
日本人は芸術家というより職人の国なんだなーということ
感性より技術の高さを称賛しがちな国民性なのかなという
ま、それはそれで日本の職人技は世界に誇れるものなのでいいのですがね
ただ美術館で絵じゃなく額縁の裏側までまじまじと見るおじさんを見ていると
あー、この人は他人の見た目しか気にならない人なんでしょうねと
失礼ながら呆れて見てました
ある意味無邪気ではありますがね
(子供だったら無邪気でもいいですが、不思議なことにこれするのは大体がおじさんだったです…)
そして監視員としては
お客様少々お下がりいただけますかと注意しに行かなければならないから
やめてほしい~っでした
あとこの映画で印象的だったのは
ある音が別の音にもなるということ
昔ながらの映画の音響技術の方法ですがね
たまに映画の裏側を見せるというテレビ番組とかあって見たこともあったので
それ自体は珍しいことではなかったのですが
一番なるほど、と思ったのが
高炉の轟音をドラゴンの鳴き声に見立てるところです
それを見てからは電車の通り過ぎる音や地下鉄に乗っているときの走行音など
ちょっと目を閉じて空想するのがマイブームでした
(今もたまにやってますが:P)
この間は地下鉄に乗っててなんか「キャンキャン」犬の鳴き声してる?と思ったら
車体が止まる時の音だった…
油差してくれい
この物語の元になっている方はその後
映画の音響技師になっておられます
天職ですね!
ちなみにイタリアの盲学校は盲人でもできる技術を身に着けるためにあるのですが、
大概は電話交換手とか機織り職人のような決まった仕事に就くしかないのが現状だったようです
しかしミルコには別の才能もあったわけです
もちろん保守的な校長には大反対され、退学まで言い渡されるのですが
それでも彼や彼の才能を伸ばしてやりたいという大人もいて
自由なミルコに付き合ってくれる友達もいっぱいいた
そしてそういった人たちの行動が
のちに法律も変えることになったのです
障害者のこと、人権のこと、勇気、いろんなことが学べる映画だと思います
視覚に関する私の興味は
まだ尽きそうにありません
また別の機会にそのほかの盲人映画?も紹介しますね!